耐え生きる日々に寄り添う ― それが私たちの仕事

梅の花の気の画像
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「長生きしたい」と言えない人の心に寄り添うために

「長生きはいいけれど、元気でいなければ意味がない」
「もう、早く死んだほうがいいよ」

年齢を重ねた方から、こんな言葉を耳にすることがあります。
一見すると、人生を手放したいようにも聞こえます。

けれど、その表情や、何気ないしぐさの奥に、
本当はまだ生きたい
もう少し、この世界で過ごしたい
そんな気配を感じることも、少なくありません。

それでも、元気でいるための食事や生活の話をすると、
「今さらそんなことをしてもね」
「面倒くさいよ」
と、心を閉ざしてしまう。

良かれと思って伝えているのに、届かない。
そのたびに、無力感や切なさが胸に残ります。

「耐え生きる」ことの重さ

年を重ねるということは、
体力が落ち、思うように動けなくなり、
「できないこと」が少しずつ増えていく過程でもあります。

若い頃のように、
「努力すれば報われる」
「頑張れば何とかなる」

とは、簡単には言えなくなる。

だからこそ、
「これ以上、頑張れと言われたくない」
「元気でいなければ、価値がないように扱われたくない」
そんな思いが、心の奥に静かに積み重なっていきます。

「早く死んだほうがいい」という言葉は、
死を望んでいるというよりも、
これ以上、“耐え続ける人生”を続ける自信がない
という、心の悲鳴なのかもしれません。

正しさは、ときに人を孤独にする

栄養のこと、運動のこと、予防のこと。
それらが大切なのは、間違いありません。

けれど人は、
正しいこと」よりも先に、
「わかってもらえた」

と感じたときに、心を開きます。

どんなに理にかなった元気レシピでも、
相手の気持ちが置き去りになっていれば、
それは「押し付け」として受け取られてしまいます。

信頼がない状態でのアドバイスは、
たとえ善意であっても
ときに刃のように感じられてしまうのです。

信頼は「並んで座る」ことで生まれる

信頼を得るために必要なのは、
前を歩いて導くことではありません。

同じ方向を向いて、
ただ、並んで座ること

「そう思う日もあるよね」
「元気でいろって言われるの、しんどいよね」
「無理に変わらなくてもいいと思うよ」

そんな言葉は、
何かを解決しなくても、
相手の心を、そっと温めます。

すると不思議なことに、
「じゃあ、今日はこれだけやってみようかな」
と、小さな一歩が生まれることがあります。

元気は「目標」ではなく「結果」

元気でいることを目標にしてしまうと、
できない自分を、責めてしまいがちです。

けれど本当は、
・誰かと笑えた
・おいしいと感じられた
・今日は少し楽だった

そんな何気ない瞬間の積み重ねが、
結果として「元気」につながっていくのだと思います。

耐え生きぬくために必要なもの

人は一人では、耐え続けられません。

「この人は急かさない」
「この人は、見捨てない」

そう感じられる誰かの存在があって、
初めて、
「もう一日、生きてみよう」
と思えるのではないでしょうか。

長生きしたいと、素直に言えなくてもいい。
元気になる方法を、すぐに受け入れなくてもいい。

ただ、
孤独に耐えさせないこと
その人の速度を尊重すること
それが、信頼であり、共に生きるということなのだと思います。

私たち自身のこととして

今、私たちは
88歳と、今月70歳。

もう音をあげたくなる気持ちを抱えながら古希を迎える私と、
米寿を迎えても、まだシャキシャキと現役でいる社長。

この違いは、いったい何なのだろう。
そう考えることがあります。

きっとそれは、
役割があり、誰かとつながり、支え合っているかどうか
なのではないでしょうか。

お客様も含めて、
お互いを支え合いながら生きていく。
その関係性そのものが、
何よりの「元気の源」なのかもしれません。

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